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精一杯、自分を生きるということ

2024.1.2

元旦は地震が起きて

今日は羽田空港で大きな火災が起きて

なんとも気持ちが複雑なお正月です

まだ安否がわからずに

心配な友人もいて

返事が来ることを祈っています…

お正月早々

いろんなことを考えさせられます

ちょうど昨日、元旦は

ひすいこうたろう&SHOGENさんの

「今日、誰のために生きる?」という本を

読んでいました

日本人は、今、を生きていなくて

心はいつもうわの空で

目の前の人を見ているようでみていなくて

なんでそうなっちゃったんだろうね?

昔の日本は

どこの国の人よりも人生を楽しんでいて

皆楽しそうで

余裕があって

人を大切にできた、そんな人種だったんだって

私たち

全然そうじゃないよね、って思って

どうしてそうなったのかな?と考えていました

合理主義になって

情報社会になって

とても便利になったけど

その代わりにとても大きなものを

失ってるんだなって思ったんです

無駄なモノの中に、大切なものがある、と

私はいつもみんなに伝えているんです

私のいう無駄、というのは

無駄に見える時間、という意味です

植物や動物を育てたりとかね、飾ったりね、

時間的にはとても無駄が多いです

音楽を聴きにいったり、演奏したり、練習も

遊びの時間だから

仕事仕事、って考えたら、無駄な時間

人にプレゼントを買いに行くのも

選ぶのも、別にバースデーでもないけど

何か買いたいなと思って誰かに買うことも

時間も、お金も、

合理主義的に考えたら無駄なの。

だって、直接的に、なにになる?

と言ったら、別に。

でもその人が喜ぶ。

それが無駄と思われるもののなかにある。

丁寧なしぐさ、行動、想い、

これも、別になくたって困らないけど

あったらとても素敵なもの

心がそこにはあるから。

だから

必要なさそうで、とても大切なもの。

ごはんだって

コンビニで売ってるし

スーパーで簡単なもの買えるけど

素材の野菜やお魚から

今日は、何作ろう、何が食べたいかな?

って考えて、いちいち作ること。

ここにもね、心がこもっている。

そういう、ひとつひとつ、

大切なコトは

無駄を省いたような生活とは真逆でね

日本人はこれを失っているんじゃないかな

と思うわけなんです

昨日、今日、

日常は当たり前じゃない、ということを

テレビで見て

あ、もっと自分の人生生きないと、って

とても感じました

自分の人生を精いっぱい生きないと

きっと死ぬときに後悔するから

そう考えさせられたお正月でした。

今日は、八坂神社に初詣というか

犬のお散歩に行ってきました。

さすが八坂神社、すごいひと。

とてもきれいな青空でした。

そして年末に作ったおせちを

食べようかと思ったら

店にお重を置きっぱなしで

あらー、どうしましょう

似合わないコペンハーゲンに盛り付けて

まぁ、これでいいか、と

日本酒とともに。

娘たちが長野に帰っているため

なかなか減らないけど、どうしよう(笑)

明日も明後日もおせち食べますw

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